熊本県で発生した大きな地震から数日が経ちました。
被災された皆さま、そして今も不安な日々を過ごされている現地の皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
そんな中、SNSを見つめていて、思わず立ち止まる投稿がありました。
「おばあちゃんが『避難所には絶対に行きたくない』と言ってきかない。どうしたらいいんだろう……」
ご家族の切実な言葉とともに添えられていたのは、自宅の庭先に簡易日除けを張り、そこで横たわっている高齢者の姿でした。
その光景を見た瞬間、胸の奥にしまっていたケアマネ時代の記憶が、一気によみがえりました。
県知事が「未曾有の大災害になる」と発表し、テレビでは繰り返し危険を知らせる言葉が流れていた、あの日のことです。
地域でも、高齢者の避難について慌ただしく動き始めていました。
私の頭に浮かんだのは、担当していた95歳の一人暮らしのひろこさん(仮名・要介護1)でした。
家の西側には小さな川があり、平屋の家屋。
ご家族は遠方にいて、すぐに駆けつけることはできません。
普段なら、ご本人が納得するまで時間をかけて話し合うのですが、この時ばかりは時間がありませんでした。
「ひろこさん、お願いだから避難しよう!」
必死にお願いしました。
けれど、ひろこさんは頑として首を縦に振りません。
「トイレが間に合わなかったらどうしよう」
「和式だったら立ち上がれない」
「体育館の冷たい床では、神経痛がひどくなる」
「周りの人に迷惑をかけたくない」
ひろこさんの不安は、決してわがままではありませんでした。
それは、長い年月をかけて築いてきた暮らしへの想いであり、自分らしく生きてきた人としての尊厳そのものだったのです。
私は、ひろこさんの今の認知の状態、押し車を使って歩ける足腰の力、懐中電灯を自分で使えるか、食料は足りているか、家の周囲の状況……。
さまざまなことを頭の中で再確認し、悩んだ末、そのまま自宅で過ごしていただくという判断をしました。
私には、その日ほかにも安全を確認しなければいけない、身寄りのない一人暮らしの方がたくさん待っていたのです。
その後もカッパを着て、地域を走り回りました。
次に訪ねたおじいちゃんも、答えはやっぱり「NO」。
結局、その日は誰一人として避難所へ行ってはくれませんでした。
「今まで長いことここに住んでいて、一度も災害なんてなかったんだから大丈夫!」
緊迫したニュースが流れる中でも、皆さんはどこか誇らしげに、これまで何事もなく暮らしてきた年月を語られるのです。
雨の中、一人焦って走り回っていた私は、その温度差に思わず笑ってしまいました。
でも、同時に感じていました。
「避難したくない」という言葉の奥には、その人にしか分からない理由があるのだと。
現場を回っていて痛感したのは、高齢者を避難につなげることが、どれほど難しいことなのかということでした。
そして、支援が必要なのは一人暮らしの高齢者だけではありません。
在宅で呼吸器などの医療機器を使用されている方。
ご家族がいても、ご家族自身が高齢で移動の介助が難しいご家庭。
災害時には、さまざまな事情を抱えた方が取り残される可能性があります。
これだけ毎年のように災害が起きている国なのに、避難の仕組みや情報の伝え方は、あの頃からどれほど進んだのだろうか。
「避難してください」という言葉一つでは、越えられない壁が現場にはあります。
災害時には命を守ることが最優先になります。
尊厳がどうのこうの言っていられない——その通りです。
でも、平時から地域全体で、その人が安心して避難できる仕組みを考えておくことは避難をスムーズにつなげる大切な準備になるのではないでしょうか。
一人の避難に時間がかかってしまえば、その分、次の支援へ向かう時間も失われてしまいます。
その人が何を不安に感じているのか。
何を大切にして生きてきたのか。
そこに寄り添わなければ、スムーズな避難という行動につながらない人もいるのですから。
「この人なら、どうすれば安心して避難できるだろう」
一人ひとりの暮らしや想いを知っておくことも、大切な防災なのだと。

熊本の状況を見ながら、あの日、雨の中を走り回っていた自分を思い出し、改めて感じています。
熊本に一日も早く穏やかな日々が戻りますように。
復興への祈りを込めて。
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