先日、フルリフォームされた中古物件の内覧会に足を運びました。
内覧会そのものが初めてで、「今後の我が家のリフォームの参考になればいいな」──そんな軽い気持ちで向かったはずでした。
ところが、リビングに一歩足を踏み入れた瞬間、胸の奥で強い動悸が走りました。
これまでに経験したことのない種類のもので、まるで誰かが内側から必死に訴えかけてくるような、逃げ場のない重さでした。
その重さの質に触れた瞬間、ああ、やってしまったと気づきました。
孤独の中で旅立った人が抱えていたであろう苦しさのようなものが、こちら側へ流れ込んでくるのを感じてしまったのです。

いつものようにすぐにほどこうと試みたものの、今回は深いところで絡まってしまい、なかなか解けませんでした。
しばらくして不動産会社の方に話を聞くと、ここは以前、独り暮らしの男性が誰にも気づかれずに旅立たれた場所だったと知りました。
やっぱりそうか……。
この体験をきっかけに、少し前に参加したグリーフケアの勉強会で感じた感覚が蘇りました。
見えないものに触れやすい自分の感受性。
それはやはり、私の中に確かに存在しているのだと思います。
グリーフケアの場では、深く共鳴しながらも、どこかで線を引くことができていました。
けれど、あの空間ではそれができず、より強烈に、直接的に入り込んでくる感覚がありました。
その後、しばらく体の重さが続き、受け取ってしまったものを手放すのに苦労しました。
すぐにほどけるものもあれば、簡単には解けないものもある。
そこには「ただの共鳴」では片づけられない、重く、ざわつくような手応えが残ったのです。
それは、グリーフケアの場で触れる悲しみとは、明らかに質が違うものでした。
安易に踏み込んではいけない領域に触れてしまったような、簡単には語れない世界。
物件を後にしながら、自分の中にある“役割のようなもの”をふと意識した瞬間でもあります。
それは、私にとって確かに新しい体験でした。
一見すると少し怖い出来事だったのかもしれません。
けれど、抗えない流れの中に、また入り込んでしまったのだな── そう思ったら逆らわずに身をゆだねていこうとする自分がいました。
ただ受け取るだけでなく、きちんと手放すこと。
そのバランスを大切にしながら、これからも丁寧に向き合っていきたいと思います。
私自身の、この内側と。

