年の瀬の冷たい空気を吸い込みながら向かった、12月26日の面会。
リハビリ病院で見た母の姿は、今も鮮やかに心に残っています。
「右胸の下あたりが、動くと痛いの。だから今日のリハビリはベッドの上で。夜には熱が出るのよ」 少し笑いながら話してくれた母。
けれど、その腕に繋がれた点滴と、どこか無理をさせているような笑顔に、私の胸は激しくざわつきました。
看護師さんからは、尿路感染症や胆嚢炎の疑いで経過を見ていると説明を受けました。
「抗生剤も入っているし、きっと大丈夫」――どこかでそう信じたかった。
昨日まで杖歩行ができるほど回復し、張り切ってリハビリに励んでいた母の生命力を、疑いたくはなかったのです。
けれど、現実は無情でした。 28日に兄が面会した時、母は寝返りも打てないほどの激痛に耐えていました。
案じる兄に対し、病院側も翌日の再検査と診察に向けて準備を進めており、「明日、詳しく調べた上で、今後の治療方針を決めましょう」と話し合っている状況でした。
その夜、私から何度か送ったメッセージに、ようやく返ってきた「何とか大丈夫」という短い返信。
それが、家族を心配させまいとした、母の精一杯の強がりだったのだと今になって気づき、胸が締め付けられる思いです。

29日の朝、事態は急変しました。
ちょうど手術から20日目のことです。
血圧が急激に低下し、搬送先の病院で告げられたのは「胆嚢破裂」「敗血症ショック」という、まさに命の灯火が消えかかるような診断でした。
「すぐに緊急手術を行います。術中に亡くなる可能性もあります」 医師の言葉が重く響きました。
けれど、不思議なことに、私のハートの奥のほうはシーンと静かだったのです。
それはきっと、たくさんの祈りの力が、母と私をそっと包み込んでくれているのが分かったから。
優しくて温かいその感覚が、私には確かに伝わってきました。
気がついたら、私は救急センターの前を通り過ぎる急患の方々に光を降ろしていました。
祈りの循環の中に、自分もそっと加わっていたかったのだと思います。
今、母はICUで人工呼吸器と多くの管に繋がれ、ひとりで必死に戦っています。
「もっと早く、何かできなかったのか」――後悔の波が押し寄せ、自分を責めてしまいそうになる瞬間もあります。
けれど、ICUに横たわる母は、昨日よりも確実に「生きよう」としています。
38度の熱は、バイ菌を追い出そうとする命の熱さ。
機械に支えられながらも刻まれる自発呼吸は、もう一度自分の足で歩こうとする母の強い意志。
「目をあけて」という私の声に、静かに瞼を持ち上げてくれたあの瞬間。
母は確かに、「家族との約束を忘れていないよ」と答えてくれました。
父や姉と一緒に苦労して作った、寝室の「通路」。
あれは、母が再び我が家を笑顔で歩くために作った、私たちの希望の道です。
一度は止まりかけた時間を、母は今、自分の力でもう一度動かし始めています。
あの通路を、母が晴れやかな顔で歩く。
その風景を、私たち家族は絶対に諦めません。
支えてくださるみなさんへ…心からの感謝を込めて。